声は風
声は息吹
精霊の声が私たちを結ぶ
私たちをつなぐ
声がひとつになるとき
そこには 愛が生まれる
声とひとつになると感じる瞬間があります。
夜が明けて空が茜色に染まり、今日の光が生まれる瞬間の声。空と光と風といのちあ
るものたちがひとつの風景にとけあっていくとき、ひとつの呼吸(いき)にとけあっ
ていくとき、朝の光には、精霊(スピリット)がきらきらしています。
声と声が結ばれて、つながってひとつになることを「精霊」の働きだと古代の人たち
は知っていました。
spritの語源ラテン語のspiritusは「呼吸・微風・精霊・精神・霊・霊感・酒精」など
を意味します。エネルギーに動きがあって変化することは、「風がふくこと」です。
風がふくと呼吸にも変化がおきます。瞬時にして、今は過去になり、未来と感じてい
た新しい時間が始まっていく。その不思議な変化―風がふくことをもたらす働きに、
古代の人たちは、人を超えた不思議な力を感じ、そこに「精霊が働く、精霊がなかだ
ちをする」のだと、感じていたのです。
声がひとつになっていくときにもspirit・精霊はなかだちをします。風の声と木の声を
つなぎ、朝の光の声と鳥たちの声をつなぎ、夜明けという時の声と私たちの体内の時計
の声をつなぎます。
声とひとつになるとき、一体感が生まれます。ふたつのものがゆれあい、ふれあい、響
きあい、共鳴しあってひとつの風景やひとつの呼吸にとけあっていくとき、「気持ちが
いい」と感じます。自分という硬い枠がはずされ違いをこえてひとつにとけあっていく
ときは、「恍惚感・うっとりとした気持ち」さえ感じるかもしれません。
古い北欧の言葉galdr(古い英語gealdor)呪文・魔法・魔力は、galanという動詞・歌
う・叫ぶ・呪文を唱えるから来ていると本で読んだことがあります。声をだして歌うと
きには、人間を超えた魔力のような力が働きます。だから「トランス」状態になります。
トランス状態では自他の区別も差別も境界もありません。すべてがひとつになって融合
し、共鳴しあっていきます。共鳴する―同時に共に鳴るということが、どんなに幸福感
をもたらすか、どんなに恍惚感をもたらすかを人間はよく知っていました。
音楽があり、歌があったということは「共鳴したい」という人のいのちからの願いのあ
らわれです。そして歌のもっとも原初的な形が「声が共鳴する気持ちよさ」ということ
だっただろうと思います。共鳴する―同時に共に鳴るということは、ふたつ以上のもの
が同時に向きあっているということです。違いを超えてよく似たエネルギー同士がひと
つになろうとする美しい現象が共鳴するということです。そこにはスピリット・精霊が
はたらいています。微風がおきて呼吸が変わり、古いものから新しいものへ変化してい
くときに、ひとつになると感じる瞬間があるのです。その恍惚感を私たちは「しあわせ」
と呼んできたのではないでしょうか?
他の人と意見がひとつになったとき、同じ音楽に感動したとき、ある風景をみて同時に
美しいと感じたとき、伝えたい愛のことばがいっしょだったとき…シーンはさまざまで
すが、きっとそこにはいつも「声」があって「声」によって感動を伝言を気持ちを伝え
ているのでしょうし、「声」をつかって互いの空気をふるわせて響きあっているのだと
思います。
私の心のなかには「声の小箱」と呼んでいる箱がたくさんしまわれています。生きてく
るなかで、いいなと感じた声、感動した声、好きだなと感じた声、うっとりとした声が
しまわれています。私の声のコレクションです。人の声によく耳を傾けている私を発見
したのは20代の初めごろでした。
それは私のこんなコンプレックスに反応しています。
私の母は若い頃、演劇が得意・合唱も得意でした。美しい声を持って人前で演じること
に無上の喜びを感じ、劇団からスカウトされるほどだったと聞きます。その娘である私
は、小さい頃から「発音」のことをよく言われました。同時に母の自慢話を繰り返し聞
かされました。幼稚園の頃には、人前で台詞をいうことが嫌いな女の子になっていまし
た。ひとり静かに黙って本の世界へ逃避するのが大好きな女の子に育っていたのです。
小学校・中学・高校と母からは「あなたの声は通らない・発音が不明瞭だ」と何度も指
摘されました。その頃、自分の声にはまったく自信がありませんでした。今、ボイスセ
ラピーという声を使う仕事をしていることのほうが、不思議な私だったのです。
声のコレクションは、おそらく、母の価値観にない自分だけの「いい声」を探したかっ
たのだと思います。私がいいと感じる声をたくさん集めて、その声を通して自分のコン
プレックスを解放したかったのかもしれません。
声の小箱をあけてみましょう。声とひとつになった私のお話です。
20代の終わりにイタリアのバチカン市国にあるサンピエトロ寺院を訪れたときのこと。
聖堂に足を一歩踏み入れた瞬間、声の光にふわっとつつまれたような気がしました。ど
こからともなく聖歌が流れ続け、パイプオルガンの音が流れ、その声は重なりあい、響
きあい、聖堂のなかで光となって、旅をしてきた私をまあるくまあるく包んでくれまし
た。その感覚はまるでお母さんに抱っこされているような、子守唄をずっと唄ってもら
っているような感じがして、涙がとまらなかったのを覚えています。
声の光につつまれて聖歌とオルガンと私がひとつにとけあっていくとき。声のパステル
画がひろがっていく時間。私のなかにひとつの声がありました。声の精霊は、記憶をさ
かのぼり、小学生の頃、教会学校で讃美歌を歌っていた私の声を連れてきてくれたので
す。小さい頃からオルガンのやわらかい音色が好きでした。なかでもパイプオルガンの
音が何重にも響いていると、空へ舞あがっていくようなうっとりした気持ちになりまし
た。私はヨーロッパの前世をたくさん持っています。シスターだった前世も何度もあり
ます。
声の共鳴する現象がつむぎだす前世の記憶ともいえる自分の嗜好を、光のように感じ、
その声に包まれて、声にハグされて、声とひとつになった瞬間でした。
別の声の小箱には大好きなエンヤの声がしまってあります。エンヤを初めて聞いた夜の
衝撃は今も忘れることができません。1995年のことでした。カーラジオから流れたこの
世のものとは思えない不思議な声=これがエンヤとの初めての出会いでした。すぐにエン
ヤのCDを手に入れました。エンヤの4枚目のアルバムにあたる『メモリー・オブ・トゥリ
ーズ』です。CDをかけ始め、食事をしようと箸を持ったまま、私は動くことができません
でした。食事に箸をつけることができなかったのです。CDの全曲が終わるまで、CDの前
で居ずまいを正して聞きいるだけだったのです。頬には次から次へと涙が伝わっていまし
た。
エンヤの声は、声というより息づかいに近いのです。私たちをとりまく空気や空間、風景
さえもエンヤは声にしてしまいます。森へ足を踏み入れたとき、風も木々の葉の音も小鳥
の鳴き声も、枯葉を踏みしめる足音もすべてが声となって何層にも響きあってひとつにな
っている―それがエンヤの世界です。
耳で聞いている音だけではありません。エンヤの音楽を聞いていると、なつかしいと感じ
るときがよくあります。小さい頃、心のなかで聞いていたような、心のなかで響いていた
声のような、音楽のような―それはなんだったのか?誰の声だったのか?よくはわかりま
せん。心の耳が記憶している声なのです。
4・5歳の私が、裏庭にゴザを敷いて一人ぼっちでままごとをしています。塀に囲まれて、
青空がひろがり、風が吹くと、庭の花たちがやさしくゆれます。大好きだった芙蓉の花か
ら、その声は響いてきているように感じました。どこかさびしそうな私。私を温めるよう
に、なぐさめるように、芙蓉の花は歌います。
このシーンはインナチャイルドワークをするといつもでてくるシーンです。
病気の母に甘えたくても甘えられなかった小さな私です。でも花たちや空たちが温かい声
を贈ってくれていたのですね。
エンヤの声と共にゆれてふるえる小さな私のさびしさ。私のさびしさと共にふええる芙蓉の
花の声。時空をこえて声と声をつないでいく風=精霊は、とけあってひとつの声になるとき
さびしさや悲しさは癒されることを知っていて、共鳴現象をおこしていくのでしょう。
ボイスセラピーでよく使うお気にいりのエンヤの1曲
「To Go Beyond Ⅱ」―『Celts』より
http://www.youtube.com/watch?v=3Ri8leO_OYE&feature=related
精霊がもたらす風は変化を起こします。心がゆれて、はっときづいて、不思議な偶然が重な
って、人生が動くときを私たちは転機と呼んでいます。転機のときには呼吸も変化していま
す。今までの自分にないものにふれて、ゆれて、振動が伝わって、「私」のの中も新しい揺
れが起こります。
身体の70%が水でできている私たちは、身体全体が共鳴板のような役割をしていて、臓器の
ひとつひとつ、皮膚の一枚一枚がそれぞれの周波数でゆれ、ふるえ、世界や宇宙と共鳴して
いるだそうです。
新しい共鳴を感じるときには、精霊が新しい未来を運んでくれています。
出産の体験は、女性にとって誰しもとても大きな変化です。新しいいのちと響きあいながら、
いのちを生み出す出産ほど、お母さんと赤ちゃんが同時に、共にひとつの呼吸に、ひとつの
声になっている瞬間はないと思います。出産―いのちを新しく生み出すというとき、ミリア
ム・ストックリーを思います。
エンヤを北の歌姫とするならば、南の歌姫はミリアム・ストックリー(アディエマス)、私
はひそかにそう呼んでいます。ミリアムの声も私の大切な声の小箱のひとつです。
南アフリカ出身のミリアムの声には部族的な響きと、大地からわきあがるような力強さがあ
ります。夜が明ける瞬間の空のあざやかな色。その空へまっすぐにのぼっていくミリアムの
声は、現代の私たちが忘れかけたいのちへの感謝と祈りを感じさせてくれるのです。そして
青い海の水がくりかえしよせてくるうねりのような力も、ミリアムの声は持っています。
大好きな「静寂 HYMN」-アディエマス『聖なる海の歌声』より
http://www.youtube.com/watch?v=CTCmVMiTsKI&feature=related
娘を出産したとき、この「静寂 HYMN」をくりかえし聞いていました。私の身体で一体と
なっていた新しいいのちと別れる瞬間、そして新しいいのちを生み出していく瞬間。空と大
地と海とそして新しいいのちが一体となっていく誕生のとき。そこにもスピリットは風を送
って、私と娘を「親子」という声でつないでいきます。
声と声が向きあって、響きあって共鳴していくとき、新しく生まれてくる光、それを「愛」
と私たちは呼んでいるのではないでしょうか。共に響きあうとき「愛」が生まれ、その瞬間
を私たちは「しあわせだ」と感じます。それぞれの境界を越えて、それぞれの輪郭という枠
をこえて、ひとつの呼吸になるとき、ひとつの息吹になるとき「愛」が生まれるのです。
私たちは一人では生きていくことはできなくて、「声」に運ばれてたくさんの共鳴現象を
おこしながら、一人ではないことを確認していきます。一人はない、孤独ではない、さび
しくはない、ひとつに溶けあうことができる喜びと恍惚感。
「静寂 HYMN」に声をのせて、熊野の七里御浜で詩の朗読をしたことがあります。
浜辺に立って、背後に海を感じなら声をだしていくと、私たち自身が海風になって海上へ
運ばれていくようでした。声を海に捧げるように、声を風に変えて、海風と一体となって
海へ声を届けていました。
朗読が終わる頃、海からの返信のように水平線上に大きな虹の橋がかかったのです。
「主よ、今日一日 やさしい言葉に飢えている人々と語りあうため
私の声をお望みでしたら今日、私のこの声をお使いください。」
マザーテレサの祈りより
私たちの朗読の活動については次をご覧ください。
http://www.voicetherapy.info/therapist
ボイスセラピスト・スピリチュアルボイスカウンセラー 時野慶子
2010年11月12日



